【現代に生きる禅】:2005年3月2日

禅は、達磨大師が禅宗を創立して少林寺から始まりました。その後は六祖に受け継がれてだんだんと全世界に広められていきました。でも時代の発展により、少しづつ禅に対しての概念は変わるところもあります。もともと禅は言葉では表現できないものです。特にいろいろな時代の環境などの特徴は文字では表現しきれないものです。だから、禅を言葉で表現する時には抵抗がある場合もあります。それぞれの時代やそれぞれの流派の表現もあります。どのようにしたら正しく話せるでしょうか。

皆さんも御存知のように、禅宗の中には臨済宗や曹洞宗の様な古い流派があります。少林寺はもともと曹洞宗ですが、長い歴史の中で社会の高度成長や発展により、禅の道はいろいろな時代の印が付いています。
少林寺は、武術が非常に発達しているという特徴があるので、武術禅という言葉もあります。
現代社会では、悟りや禅のレベルの存在は何も山奥やお寺だけではありません。身近な中に生活禅があります。それは禅はもともと心のことだからです。自分の心の中ですから、どういう環境にいても最後は自分の
ことになります。表現に一定の形はありません。

また日本では特に健康面を重視する傾向がありますから、そうすると気功禅ということもあります。
今回皆さんに伝える禅は古くて堅苦しいものではなく、現代的に生きている中のものです。
ひとつは禅はどういう概念、どういうものですか。もうひとつは、この禅はどのようにくるものですか。どのように修行したら人間はそういう禅の状態になりますか。

私達が気功の練習をする時に、病気を持っている人は、それを早く治したいと考えますから、気功はひとつの健康法になるでしょう。別のある人は、心身統一と潜在能力を高めるためのものとして練習すると、それは潜在能力開発の方法と考えます。ひとつの練習方法としてシステム化した場合、目的や目標毎に取り入れるものも違ってくるでしょう。