続いて、肺のところに“魄”(「魄力」という言葉がありますね)が保存されています。肺にあるわけですから、その人の魄力を感じるというのは、その人の呼吸と関係があります。ある人の呼吸のしかた、息遣い、話し方のトーン、発声力などが、その人の魄力を表します。もし、その人の声も無くて、呼吸も感じない(動きがなく、変化がない)ようであれば、その人に魄力があるのかどうかという判断ができず、全くわからなくなります。
また、魄は魂の外部表現と言えます。まるでこの2つは、1つの陰陽を表しているようなものです。魂は“陰”で、魄は“陽”とされ、三魂七魄という言い方もあります。昔の人間の伝統文化の中や道教の中にもあります。さらに仙道の中にも、魂と魄についての表現があります。
人体科学の観点から見ると、“非科学的”と捉えられてしまうかもしれませんが、中医学では、以上のように解釈されます。
次は“意”(意念の意のことであり、脾臓に保存されます)。人間の意識は、物事を決断するような場合、また(記憶したものを)思い出す、また感覚器官によって聞こえたとか、見えたなどの事を、脳の中では「反応」があります。この反応に対して、思ったり、感じたり、結論を出したりすることが“意”と言えます。日本では、一般的に「意思」と表現されることがあり、これは自分の思いや考えを指している言葉です。しかし意というのは、その場で、その瞬間の考えであり、察する力が働いています。心の「神」とは、精神や意識、思考、または神明情志の神とも言われます。(神明情志の神とは、その人の宇宙観や人生観など、ずっと決まっているような考え方であります。)意というのは、たとえば、最近、ずっと思っていること、今、まさに思っているようなことなども同様に言えます。
最後は、“志”(腎臓に保存されます)です。日本語の表現では、積極的な考え、強いはっきりとした意向のことで、自分の一つの決まり(目標)があったら、また自分の努力すべき方向が定まったら、決心するといった自分が何かをしようとしたときの気持ちを指す言葉であります。志とは、自分の人生、また将来はどのようになりたいのかはっきりと決める、目標を定めるといったことであります。志(または精)は、精神の「精」のことで人体科学の医学の面で、人体の構成及び生命活動を維持するのに最も必要な基本的な生命の大元であり、命の元々、命の材料、または原料とか、エネルギーなどと考えてもよいでしょう。ですから「精」が人体に充満したら、「志」も強くなるのです。若者は、大きな志(夢や希望)を持っていますが、ただの未熟という事ではなく、精が充満しているのが原因です。これは、年を(60、70、80、90歳・・・と)とっていくと、精が弱くなることが原因で大きな志はどんどん小さくなっていくのです。
以上のように、5つの人間の心(精神)を決定させるのは、中医学の伝統的な考え方です。この5つは(五行学説で言いますと)お互い密接な相互関係であり、「生まれる関係」、または「抑える関係」にあります。
たとえば「生まれる関係」で述べますと、魂から神が生まれる(魂は神の母親)、神は意の母親、意は魄の母親、そして魄は志(精)の母親という関係にあります。
私たちは練習の時、どのように精神の面の「五神志」を鍛え、強くして元気にさせることができるでしょうか。身体(五臓)を強くしていくと、5つの神志は強くなります。たとえば「魂」を強くさせるには春の季節に練習することが望ましく、人間の体を鍛えるのには一番有効です。(具体的な時間としては)朝、東に向いて青色をイメージしながら行います。青色の気は肝臓の中に入ります。そうすると魂は強くなります。また「神」は、夏の前半に南に向いて、赤色のイメージをして行います。赤色は自分の心臓に入ります。そうすると神は強くなります。次に「意」は、季節は夏の後半、方位は中央になりますから(私たちは北半球に住んでいますから)南の方角に向いて、黄色のイメージをして練習をするのが一番効果的になります。黄色は脾臓に入り、意は強くなります。続いて「魄」の場合は秋になります。方角は西に向いて、白色をイメージいたします。そうすれば、肺に入り、魄を育てます。最後に志(精)を鍛えるのは冬です。北に向き、黒色をイメージいたしましょう。そうすれば腎臓に入り、志(精)を強くさせます。
このように人間の体と心(精神)は結びついて、お互いに元気になり、そしてお互いに補充していくので、有効的な関係にあるのです。