私は長い間、連絡を取っていなかった中学時代の同級生と、先日、連絡をとることが出来ました。実はその時、とても驚いたことがありました。それは、同窓生の写真の印象として、随分と歳をとったなぁ、と感じたことです。

集まった中で、私が一番若々しく思えました。同級生が、私よりも(見た目で)10歳も20歳も年上に感じました。もちろん外見だけでなく、中身(思考力等)も差があるように思えました。

約40年ぶりに会いました仲間と色々な話をしましたが、共通の話題としてありますのが、小学生から中学生の時にかけての出来事の「文化大革命」時代についてです。当時は国の様々な政策(一人っ子政策等)によって、大きな変化のあった時期です。私たちは差別を受け、まるで国から棄てられたような思いがありました。

私は、クラスの中でも他の仲間より2歳から3歳ぐらい下でした。ですから、周りの仲間はもう定年を迎える歳です。定年になると、急に年老いた感じになるのです。大抵、会社(勤め先)から定年となるわけですから、今までしてきたことが終わり、すべきことを失ったかのような状態になるのです。とうなると孤立感が生まれ、社会から取り残されたかのようになり、自分がマイナスになったかのようにも感じてしまうのです。

以前は一緒に机を並べて勉強していた仲間でしたが、(会ってはいなくても、それぞれの生活は幸せで、順調であることを、ずっと祈ってきましたが、)実際に会って、こんなにもギャップを感じるとは思ってもいませんでした。仕事で出世をしたとか、お金持ちになったということは別に、自分の人生がこの定年という堺に、こんなにも寂しく切ない人生となってしまうのかということを、びっくりしてしったと同時に、まじまじと気持ちが重くなりました。

なぜ、そのようになってしまったのでしょう。その会の後、しばらく思い悩んでいました。そして結論としては、まず普通は同級生のような状況が普通なのだということでした。

私が少年を過ごした頃、本当に大変な時代(上記の「文化大革命」時代によって)でした。特に私はみんなより、辛い思いをしていたという記憶でいっぱいでありましたので、多くの学生にとっても、青春時代があっという間に過ぎてしまい、またそのまま社会人になっても、幸せな人生を感じないまま、この年齢(定年)まできてしまい、その後も変わらず人生が終わってしまうということです。

しかし、私は周りの同級生が思っていたような人生観を感じたことはなく、また悲壮感も持たずにいることができたというのは、やはり「嵩山少林寺」での厳しい修業をしてきたからでしょう。元々(幼い時)、重い病気の経験がありますから、様々な逆境も乗り越えられるよう努力してきましたし、少林寺の修業に耐えてきたからだと思います。その後も「修業」と「勉強」をしっかり行い、自分自身を見失うようなことはしなかったのです。人生にとって、「修業」をするということが、大きな支えとプラスに自分を変えていったのだと思っています。

 

現在、当協会(また私)とご縁があって携わっている関係者や会員の方も、様々であり幅広い年齢層であります(中には、私よりも年齢が上の方がいらっしゃいます。)。大半は私よりも若い人たちです。そして皆さんが学び、実践している「少林寺気功」は、本当に人生の『宝』といってもいいでしょう。

私は今回、同窓生と会って、こんなにも運命の違いを感じたことはありませんでした。この違いは社会(外部)からのものではなく、自分自身から運命の違いを築いてしまったのではないかと思います。

 

私自身、若いうちから「少林寺気功」で自分の人生(運命)を変えてきました。是非、これをご覧になっている皆様も自分の運命を変えることができるのです。何歳からでも遅くはありません。どうぞ当協会の門を叩き、良き人生のため、運命を変えるため、一緒に「少林寺気功」を実践していきましよう!