私たち現代人は、モノの価値を判断して、その将来性を推測します。特に会社経営者は、自社の証券がどれくらい売れるか、また利益を生み出すかということに神経を使い、着目して判断します。

しかし世の中の多くは、目の前の価値をビジネスなどの判断力だけでは計れません。簡単なたとえで言いますと、日本にはたくさんの世界遺産がありますが、一つひとつの価値(値段)はどれくらいでしょうか?また利益を生み出すことができるでしょうか?さらに

将来性はどはどれくらいか?など誰も判断出来ずに答えらにれくいことでしょう。

また日本の寺や神社には、“国宝”があります。ある国宝はどれくらいで売れるでしょうか?この答えを出すことは大変難しいでしょう。またいくらで売れるかと考える人は少ないでしょう。

嵩山少林寺も世界遺産(建物)に登録されました。さらに「非物質文化遺産」としてもなりました。非物質文化遺産とは、世界中にある文化遺産の一つです。建物という目に見える価値より、形が目には見えない価値のほうが、もっと大きいでしょう。なぜかというと、“文化”の観点から、人間の精神、あるいは人間の将来に、役立つというものは、普通、目には見えず、判断ができないからです。

達磨大師は、中国で禅宗を確立させました。達磨大師が伝える禅とは、(その時代、)誰にも理解されませんでした。当時の中国南部の武帝は仏教をとても大事にしていて、興味がありました。達磨大師を招待して話をしましたが、全く二人の話は最後までかみ合いませんでした。その後、達磨大師は北に移動し、少林寺に行きました。しかし少林寺では、誰ともほとんどの人と誰とも交流をせずにいました。

その頃の中国で流行っていたものは、小乗仏教、儒教、さらに道教でした。そのため、達磨大師が伝えるものは、ほとんどの人が全く理解されませんでした。さらに人気もありませんでした。最終的に達磨大師の弟子は5人しかできなかったのです。さらに最後は毒殺されてしまいました。

最初の弟子・二祖の慧可(えか)も国から迫害を受け、逃げ回っている生活でした。三祖の僧璨(そうさん)も同様に森にひっそり身を隠していました。政府は彼らが変わり者として見ていました。しかし達磨大師が教えるものは、人類にとって非常に重要なことでした。心の解放の仕方、心を意のままにするということは、当時の人々には理解してもらえなかったのです。

なぜでしょうか?決して誰も間違ってはいません。“禅”というのは、大乗仏教であり、これはあくまでも体験をしていかなければ分からないからなのです。

まるでダイヤモンドというものを知らず、その価値も知らなければ、ただのガラスにしか思わないでしょう。いくら価値があるものでも見たことも聞いたこともなければ、それに価値があると思いません。これは本人の知識や経験だけで判断した結果であります。ダイヤモンドでも、ただのガラス玉になってしまいます。

上記のように、達磨大師の禅は中国では受け入れられず、約200年もの間、大変な時代を乗り越えて、ようやく広まり、今では全世界に知れ渡りました。

「少林寺気功」は、もっと分かりやすいでしょう。皆さんの体と心に良い影響を与え健康になり、精神にも良い結果をもたらします。

当然、達磨大師の禅は、少林寺気功に入っています。心の解放や完美になる方法は、現代社会において非常に必要なことですが、一番受けやすく、実践しやすいものと言えます。こういったアプローチは、他の気功と少林寺気功の大きな違いでもあります。達磨禅の少林寺気功で心を高めるということが、今、私たちには必修と言えますが、誰でも練習していけば、可能なのです。身体にとっても、理想的な訓練でもあります。さらにトレーニングとしても楽しく行っていけるのです。

人間社会がどんどん前進して発展していけばいくほど、少林寺の心身の訓練によって、大いに生きる上で役に立つのです。

まだ発展していない地域の人々にとっては、まず食べることが優先であり、心のレベルアップまで考えていません。しかし自己の心と体に豊かさを求めていこうとすればするほど、少林寺気功の重要性が高まります。

いつの時代でも、人々に役立つものになるのです。ヨーガが欧米で広まり、今、日本でも盛んになっています。少林寺気功もそんなに遠くありません。

少林寺の秘伝を伝える私たちの協会は、この現代社会に結びつき、あらゆる人(年齢や性別に関係なく)に合わせられるよう様々な方法により、練習を行うことができるのです。そして伝統的な理論だけでなく、現代においても通用する気功理論は、科学者や医者でも認めているのです。

このシステム(実践と理論の両方)により、人類の将来性は無限に広がっていくことでしょう。

少林寺気功は、これからの時代、あらゆる人たちにとって必要なことなのです。