本当の禅は日常生活の中で練習します。禅の修行をする人は、よく坐禅をします。
そして普通の坐禅の他に、仕事の時でも料理の時でも自分の日常生活の中でも鍛練します。
例えば、1日のうちの30分間は毎日坐禅をして、あとの23時間30分はもし禅のことをしなければ
どうなるでしょう。お湯を沸かすのに喩えると、普段お湯を沸かすのに1時間かかるとします。
これを10分間でやろうとしても水からお湯に変わるのには時間が足りないでしょう。
だから日常の中で、できるだけ自分は座っていても寝ていても禅のことをやっていたら、
お湯は沸かしやすくなるでしょう。
その中で自分の決めた時間に坐禅を行なうと効果は非常に出やすいと思います。

皆さんは「日常生活の坐禅とはどういうふうにすればいいのですか?」という疑問があるでしょう。
ひとつは、何があっても心の持ち方としては平常心であること、
そして自分の人生観を鍛えることです。
もうひとつの方法は、いろいろの力、例えば自分のすべての集中力が
目の前の瞬間に最高の状態であるようにすることです。
この意味は、いつでもどこでもこの瞬間に自分は禅の状態で気楽の状態であるということです。
「明日はたぶんいろいろ大変なことあるでしょう。」と思っても、これは明日の自分で解説します。
とりあえず今は、目の前にちゃんと禅の状態でいます。
そして今の瞬間に禅になり、また1時間後の瞬間、2時間後の瞬間も禅になって、
これを合わせたらすべて全部が禅の状態になります。

禅宗に「只管打坐」という言葉があります。座るだけということがだんだん解ると思います。
もし、こういう気持ちで坐禅をしたらどういう状態になるでしょう。
一般の人は何となく3分間ですごく深い入静状態にはなかなかなりません。
雑念が出た時に、「ああ、また私はこれはうまくできなかった。」と思ってしまうかもしれません。
でも実際は、もしあなたが落ち着いた気持ちでいたら、雑念が出たとあなたが解る時には
その雑念は過去のものです。今の雑念ではないですし、もう存在していないでしょう。
だからそんなに悩む必要はないでしょう。
禅の修行者は、高レベルの理性コントロールが出来る人です。
自分は勇敢に現実を向いて発見して検査して、そうするとそれは本当の禅の心です。
これが大事ですから。また、坐禅をしている時に雑念が出てもあまり敵にしないように。
雑念は敵だから来ない様にと思ったりすると、坐禅は逆に苦しいものになってしまいます。
もし雑念は出てもお任せでそんなに気にしないでいいでしょう。
そうすると、気は自由に来て行きますから。生活の循環に生きていると同じ言葉です。
第二と第三の鍛える方法は次回にお話ししましょう。