まずは、三大動功の一つ「鶴功三十六式」を、一年かけて行います。“鶴”のような滑らかな動作をして、実践していきます。しかしその内面に秘めるものは、非常に強いものであります。「亀は千年、鶴は万年」という言葉通り、鶴は長生きする動物の象徴ですが、とても気が流れているため丈夫で長生きである、ということが分かります。このことには、「脱胎換骨」のような強さの根本となるものが隠されているのです。それは「気」の強さによって、心身が強靭になり、長生きできるということなのです。

少林寺気功の動功、または静功の練習によって、「気」は一番強い状態となります。自分の「気」が強くなれば、心も肉体も強くなります。さらに“五神志”も強くなっていきます。

 この三大動功は、練習の時に滑らかにゆっくり行うと、体内の気が強くなっていきます。そのポイントとなるのは動作だけでなく、呼吸や意念についても意識をして行わなければなりません。そして、あたかも鶴の一生を物語るように、また一つのドラマとして演じるように「鶴功三十六式」を実践していきます。一般的にゆっくりとした動作で行うものとしては、太極拳を思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、その(太極拳の)動作の上に「呼吸」と「イメージ」をしっかりして、内面と外面の気を合わせていくのです。最終的には、体の隅々(すべての細胞)まで意識していきます。

 私たちが、少林寺気功を練習する場合、一つひとつのポーズには深い意味があります。少林寺気功の練習というのは、入門から悟りに至るまでの修業という人生(ドラマ)であります。そのプログラムの流れやシステムなど全貌については、この「鶴功三十六式」で示されていると言っていいでしょう。ですから、「鶴功三十六式」を実践しながらも、この修業を日常生活と切り離さず、行っていくようにいたします。他のすべての修業では、こういうことはありません。ここで言う実践する修業というのは、滝の下で冷たい水に打たれるとか、山奥でひっそりと行わなくてもいいのです。

 まず入門しましたら、最初に行う三大動功の「鶴功三十六式」により、気を高めて健康を維持していくように継続させていきましょう。修業の真の目的を理解し、実践していくことが大切です。一年かけて練習していき、高レベルの修業によって鍛えられていき、心身はともに強化されていきます。そして「武」のような肉体にもなり、さらに「禅」の修業によって、心も「悟り」の方向へ導かれます。

 

 続いて「虎龍双形養生功」を実践いたします。これは約七ヶ月間かけて習得いたします。「鶴功三十六式」の時の鶴は滑らかな動きでしたが、この「虎龍双形養生功」の虎は、森の中の王様と呼ばれ、強さが特徴です。ここでは虎になりきって、イメージをして練習します。その雰囲気、その姿、その気や心までが、まるで虎のように動作して行えば、その心と体、特に気は、「ワォォー」と吠えたら、周りの動物が怖がって逃げていってしまうような迫力、そして威力があります。

 この実践には、「気の強さ」、そして「気の持つ力(パワー)」を意識して練習することです。動作や呼吸はまるで虎のようにイメージして、練磨することです。単に力があるとか、力だけで動作しているわけではいけません。力を加減しながら、またコントロールしながら行うことです。

そこに「龍」の作用をさせていきます。この龍とは、西洋的な伝説の龍というよりも、中国伝統の“ドラゴン”と呼ばれる龍のことです。この龍は雲の中に入ったり出てきたり、海の中に入ることもできます。世界中どこにでも現れて危機を救うことができる存在なのです。もし、日照り続きの状態で農作物がだめになってしまいそうな時、龍が現れて雨を降らせるのです。また逆に大雨続きで洪水など災害が起きた時には、龍が現れて雨がピタリと止むのです。

私たちの体内の「気」について、単に気が強いというのではバランスを取れていません。たとえばガラスは固いが、割れやすい。またセラミックは、強靭性に欠けます。私たち人間にも長所と短所がありますが、「虎龍双形養生功」の実践の中で「龍」によって、短所をカバーし、柔軟にバランスを整えていきます。

中には電車を見て、その大きさに強さを感じて、恐怖を感じる人がいます。しかし実際には、電車は強いという印象はなく、恐怖を与えるものではありませんね。また自分は誰よりも強いと思っている人は、顔つきやその目など表情に表れます。しかしずっとそんな表情を保っていたら、しまいには頭に気血が登ってしまうことになるでしょう。そうしたら、脳梗塞にでもなって、倒れてしまうことになるでしょう。もし格闘技の試合で戦っている最中、頭に気が上がってしまったら、試合には勝てないでしょう。逆に落ち着いていて、平常心で保ち、また表情に表さない、笑顔でニコニコしているような人(強さを隠しているような人)の方が、実は怖いのです。なぜなら、そういう人は自分をコントロールできるからです。そのため、私たちは普段の練習において、己を制御できるよう訓練(「虎龍双形養生功」の実践)を行い、「気」を鍛える時、龍のようにバランス良く気を出していくことです。頭に気が登ってしまっては、バランスが悪いのです。気は「下丹田」の位置、または足の方に下げておくことが重要です。そうすれば、心を静めて落ち着くことができるのです。もし、気が頭に登ってしまったら、心はいつもイライラして不安になり、いくら鍛えようとしても強くなることはできないでしょう。これでは、すぐ焦ってしまったり、ミスをして間違ってしまったりしてしまいます。 ですから、「下丹田」の位置、または足の方に下げておくことが大事なのです。そしてコントロールも必要になります。たとえ激しい動作であっても、どんな動きであったとしても、きちんと気は流れます。一般的に手から気を出すことができるようになりますが、実は足からでも目からでも気を出すことはできるのです。また背中からでもお腹からでも同様に出るのです。全身のどこからでも、自然と気を出すことができるようになるのです。それは(これまでも述べましたが、)「虎龍双形養生功」の「龍」の実践によって可能なのです。

 

続いて3番目は「羅漢神功」と言います。この“羅漢”とは、よく仏教の中の寺において、十八羅漢とか、五百羅漢など圧巻されるものがたくさんありますが、ここでは「修業」と呼ばれるものの意味であります。私たち人間の修業は、どこまでしていけば良いのか?まずは「健康」になることを意識して、そのレベルから始めていき、修業をしていけば“仙人”と呼ばれるような人間になります。仙人になれば、食事の回数も減り、また超常能力も身につけていきます。この生活は人との交わりから遠のき、山奥などにひっそりと暮らすようになります。この“仙人”の上のレベルが「羅漢」です。なぜなら仙人の段階では、悩みなどはすべて解決に至るまでではありません(心の解決が完全ではないため)。5神通が仙人。一つ多い、6神通が羅漢であり、この一つの差が「心の修業」に当たるところです。これは禅の特有のものであります。ですから、これは仙人をしているだけでは、できないものなのです。そのため、羅漢は仙人の能力を持ち、さらに根本的に自分の正と死について解決しており、心の悟りができているのです。

また羅漢とは、「金剛不堺」の心と体と言われます。基本的に羅漢のレベルは体だけでなく、心の中に(どんな状況においても)自分を見失ったり、潰れてしまうことはない心が宿り、まるで“脱胎換骨”のような強さになり、もう一度生まれて、身体の骨や皮膚など、すべての細胞が変わるほど強くなるのです。

自分自身が「羅漢」になるよう心と体を鍛えて、強くなるために、この「羅漢神功」を実践していきます。これは約5ヶ月間かけて修業していきます。

 

以上、三大動功は、すべて取得するまでに二年間かけて、“脱胎換骨”のような強さになります。