修行の最終的な効果は、どのような標準からあるいは形や評判から判断しますか。
普通は5つのことが判断の基準になります。

5つのことが、もし1つ当てはまったら何となくまあまあ続けることができます。
もし2つ当てはまったら大体続けられます。
もし3つ当てはまったらもっと続けられます。
もし5つ全部当てはまったら大体間違いないです。

まず第1は楽。禅の修行でその師についていくことは楽ですか?
自分は自分の師よりもっと解りますか。
例えば、病人は医者さんよりも自分の身体のどこが痛いかよくわかっています。

第2は定。定の意味は落ち着いた個性。これは自分の意志力。
性格の面のことではなくて、自分は強い意志力で行動できる。
そしてやっていることは続けるか終わるかちゃんとコントロールできる。

第3は安。自分はいつも我慢する。いろいろな場面で緊張しないで出られますか。
例えばすごい有名人の前で自分はみじめに思いますか。
そう思ったら自分はたぶんその人になりたいのでしょう。
実際は世の中で核のものは、自分の立場と自分の意識、自分のものがあることです。
コップはコップですよ。時計は時計です。みんな自分の役目があります。
誰も他の人に代わることはできません。
もし自分が安定しないときは変わりたいのでしょう。
あまり自分の立場に不安すぎる人は、本当の落ち着いてはできます。

第4は明。いろいろ学んだり習ったりして前は知らなかったことが解かってくる。
特に世の中のことやあるいは自分のこともだんだんわかる。他人のこともわかる。
特に他人の苦しいこととか相手の苦しいところは許すということです。
周りにそういうふうに対応します。そうすると他人もわかるし、
世の中の真理、本当の実際のことも解ります。
もしこれが大丈夫なら練習を続けることができるでしょう。

第5は愛。この愛の意味は好き嫌いとはちょっと意味が違います。
例えば私はお茶が好き。でもこれは好きだけで愛じゃない。
愛の意味は相手にあげる。だから好きと違う。
好きは何となく相手を捕まえて自分がもらうという感じ。
愛の意味は自分から他人にあげる。でもこれは男女間の気持ちとかじゃなくて、
あなたは人間としていろいろなこと、物質をあげることができる。
相手を自分の支配におくのではなくて、修行の中で相手を助けます。
それには実際目的もない。別の計画とかそういうのはありません。
こういうことがもしできたら、あなたの道は正しいかなと思います。