先週30期生の授業としてその日の夕方にその時の30期生の瞑想は上師大悲相応心法、その中の三番目の浄心通というのがありました。心通というのは超能力ということですよ。どういう風にして、自分の心は静かで綺麗になるかというやり方ですよ。
やっぱり人間は多くのことは自分の心から決まる。決めている。人生も心から決まるということです。どういうことかというと、実際に他人が見て絶対に幸せなはず、例えば高い地位を持っているとか、大金持ち。でも自殺をする。やっぱり自殺の行動は自分自身が自分の人生は最悪だという自分の評価だと思います。だから、最後は生きることもできなかった。自殺の道を選んでしまう。
ある意味自殺という行動は自分自身は自分自身に最悪の評価の結果だと思います。
もちろん全世界でも自殺は多い、中国においても私は中国の新聞で見ましたが、去年か一昨年、中国の一番トップの重人が二人も自殺した。基本的にその二人の重人は自分の人生には満足はいってはいない。日本でもそういう事があったみたい。有名な映画監督とか、韓国でも、有名な俳優、女優。かなりの人気者、ファンも多い。普通考えたら、羨ましいくらいです。でも、自殺した。かなりの大金持ちの人は自殺した。
やっぱり、そういう人生を決めるのは自分の心で、自分の心から自分の人生を決めるのではないかなと思います。
他人が見て凄く良さそうで幸せそう。でも、本人は不満足。
逆に、他人が見て不満足そうでも本人は幸せ、これは例えばこじき、私は実際15年くらい前の話、事務所は新宿に引っ越してきたばかりのころ、家に事務所から帰る時に新宿駅にむかう途中の新宿通りで、一人のこじきがいた。夜に外で寝て、持っている新聞紙を読んでいた。いやあ、その時に非常に幸せな顔、電気の下の光のところで、何にも悩みないような、顔を見て、やっぱり人間の人生は本当に自分で決める。こじきは自分のお金もない、住んでいるところもない、一番安いアパートにも住まない人は本人自分は満足でそのような表情。
だから自分の心もそういうふうに修行するのが一番なんじゃないかなと思います。
普段、そういう事は日本人はみんな知っています。よく精神の面でもそういう事に気がつきよく修行している人も多いですし、今回の浄心通は基本的に自分の心はどういうふうに綺麗にするとか、他人の事を愛するとか、他人をおもいやるとか、具体的にイメージは一切ない。簡単な方法をいうと、自分は山になり、川になり、森になり、綺麗な景色になります。とりあえず自分のまわりの環境の中に自分は一つになる。普通これを見た人は、これは浄心通ではないみたい。だから私はその時に皆さんに質問をした。
「なぜこれは浄心通ですか。自分の心は綺麗になるとか、静かになるとか、一切そのようなイメージはなくて、ただ山になるとか、何かになるとか、そうすると、なぜ浄心通になるのですか。」
その中に実際一人の30期生じゃない人が答えた、先輩の久米さんは答えた。「自分が山になり、川になるのは自分が消えるからだと思う。」
そうです。これはまず自分が変わるということです。自分は相手になる。この方法は一切自分は綺麗とか、意識的にイメージはないですよ。ただ方法として、反対に浄心通でいう、人間の心で一番綺麗ではないもの、静かではない心はなんですか?
綺麗になる、静かになるのに一番邪魔なものはなんですか?
これがもしわかったら、一番綺麗になる方向に行くのは簡単ではないですか?
この一番綺麗じゃないものは自分自身ですよ。自分の欲望。自分の色んな要求。
皆さんに教えて伝えたいことは、仏教で基本的に人間の悩みの根本はなんですか?
それは三毒ですよ。一つは貪。貪はは貪り満足を知らなくてまだ欲しいまだ欲しいという切りのない欲望。
次は瞋。瞋の意味は相手を攻める。
三つ目は痴。人生の本当の目的がわからないということ。
この三つは人生の目的は自分自身のことばかりで、他の環境に調和することができない。当然に色々な問題はおこる。あるいは、悩みも当然に出てきます。色々な事は順調にはならない。
たぶん前に話した自殺の人は基本的に全ての原因のおおもとは自分だと思います。だから、自分でどうすればいいか、自分は山になり、川になり、森になり、この簡単なイメージの方法から少しずつ、練習の中に段々自分中心ということが消えて、自分は消えて自分のことは忘れて、そうすると、無意識の中に必ず周りの環境と調和して周りの環境が一番大事となり、それが中心となる。この環境に入って自分自身も環境になる。相手に会って相手に
なる。そうするとトラブルとか、けんかとか、色々な悩みのことはなくなるのではないですか。
しかし、そうは言っても実際に、普段の場合は、簡単な人もいますが、一般の人としては結構難しい。
だからよく
「いやあ、相手は私に何々何々ですよ。私は相手がそうやったですから、仕方ない。」戦う場合そう言う。
だから修行という事は自分の修行ですよ。仏教と他の宗教と一番違うのは、仏教は自分の心から変わる。自分から全て内面から変わる事が大事ですよ。え~そういう事で浄心通はそういうイメージの話で、今の場合はまだ理屈ですよ。今さっき言ったのは、これは道理であり理屈。
やっぱり実際に修行が必要という事ですよ。ただ理屈がわかって、例えばこの中身は納得しても今のことが行動にはならないのはなぜか?
これは、あくまでも理解したのは表面の意識での事です。だから自分の潜在意識で理解しなければならない。どういうふうに自分の潜在意識で受けて、潜在意識の中にこれがしみこむか、これは瞑想中に自分の理屈じゃなくて、自分の奥の部分、下にある意識層で、自然に受けこういう考え方が自分のものになる。自分の細胞になる。自分の魂になる。そうすると、段々そういう状態になります。
だから、瞑想は始め説明して最後に行い。終わったらみんな納得して感想も言って、良い方向になります。