少林寺の武術は非常に有名なので、少林寺を訪れたことがない人は、「少林寺の僧侶は武術を練習しているので、大殿(注:いわばメインホール)の床が擦りへって、くぼみができていると聞いているかもしれません。しかし、少林寺へ行ったことがある人なら、そうした練習による「くぼみ=練功穴」は少林寺の常住院の後ろにある「千仏殿」あるということを、みな知っています。 千仏殿の床は正方形の敷石が敷き詰められているのですが、深さがそれぞれ異なる四十八のなべ底のような練功穴があります。この四十八の練功穴は横四列に並んでいて、前後左右の間隔は2メートル余りあり、平らになっています。そして、一番深いもので50ミリあります。こうした練功穴は、武術の練習で出来たものなのでしょうか?どうして四十八だけなのでしょう?そして練功穴の深さはどうして皆異なっており、きちんと並んでいるのでしょうか?
これは実演すれば、すぐわかりますが、こうした練功穴は、千百年来僧侶達がここで武術の練習をして出来たものなのです。では、こうした練功穴は、なぜ均等の間隔でできたのでしょう?もともと、少林寺武術では足技を特に重視しており、俗に「南拳北腿(=なんけんほくたい/注:南の流派は手による技が中心、北の流派は足による技が中心であること)」と言われています。少林寺は北の流派に属しているので、入門して武術を習う場合、まず三年間、站チュン(タンチュン)、蹲チュン(ソンチュン)、恨脚などの足技について勉強しますが、その時「手は扇子のようなもので飾りであり、全面的に脚に重点を置いて攻撃しなければならない」と指導されます。師が弟子に教える時、脚の基本功に対する要求は何よりも厳しいものです。
数十人の僧侶が千仏殿で両手を水平に上げ、前後左右との距離を保ちます。壁と12本の柱と中央にいらっしゃる「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」の仏壇があるために、動ける広さには限度があり、四十八人しか入れないのです。いつも決まった位置で足技の練習をするので、長く続けていくうちに、この四十八の練功穴が自然と形成されていったわけです。では、中央にある二つの練功穴は、なぜ他のものより深いのでしょう?これは「少林拳打一条線」という特徴に由来するものです。
少林寺で武術の練習をする場合、常に一つの線上で龍が身を躍らせ、虎が跳ぶように動かなければなりません。そして、練習者に対する要求は厳しく、難度が高い「心意把」を練習しなければならないのです。「心意把功は三年学んでも習得できない」ということわざがあるほど難しいものです。「心意把」の練習するときは、燕が空を飛ぶように跳躍し、次に泰山(たいざん=中国の名山)に頭を抑えつけられたかのように下にしゃがみます。この飛び跳ねる動きと、しゃがむ動きは、2メートルぐらいの高さで行われます。開始位置は壁や柱によって固定されており、着地点はおのずと一つの位置に固定されます。この練習を行うにあたって、師は一人の訓練のみを反復して行わせますが、誤りがあれば即座に直すことによって、見学している他の弟子達にも技を学ばせます。このような訓練が長年にわたって行われてきたので、中央の練功穴が他のものよりも若干深くなっているのです。
以上お話したように、千仏殿の練功穴は足技の練習によって出来たものだということがおわかりになったと思います。少林寺武術ではさらに「軽功」を重視しています。「軽功重練」ということわざがありますが、「軽功」とはどんな練習なのでしょう?くるぶしの上にあるふくらはぎの部分に、鉄砂や「じゃり」などを詰めた袋をくくりつけ、練習をするのです。
はじめは、足一本につき500グラムの重さをつけます。足に砂袋をくくりつけたら、後は寝ている時でも、天秤棒を担ぐ時も、とんぼ返りの時も、武術の練習の時も簡単にはずすことは許されません。入浴時のみ、はずしても良いのですが、そのあと改めて別の砂袋につけかえてもよいとされています。練習時に砂袋が負担ではないと感じた頃に、250グラムか100グラム単位で増やしていき、最終的には5キロか10キロ、あるいはもっと重くすることもあります。この練習によって、各個人の根気と苦しみに耐える精神を見ることになります。