少林寺の管長室の東側にある、「東梅山」という部屋の前には、観光客が数多く集まっています。それは、ヤドリギと柏の木が互いにからみあって生えているからです。ヤドリギの木は結構太くて、バケツぐらいの太さで、その上に、大小さまざまなサイズのツタが蛇のように絡まって生えています。そして、そのヤドリギは、実は非常に太い柏の木に絡まって生えているのです。どれぐらい太いかというと、大人が2人で手をつないで抱えられるぐらいです。木の根と根もつながっているし、幹と幹もからまっていて、枝と枝もからまり、葉っぱ同士も一緒に見えます。その様子は、あたかも生死も共にしているかのような、非常に親密な印象を見る人に与えます。

毎年、春の終わりから夏の初めにかけて、40~50メートルぐらいの高さの木に、すがすがしい良い香りの、小さな白い花が咲きます。遠くから見ると、雲のようでもあり、霧のようでもあり、非常にきれいです。秋の末から冬の初めにかけては、実がなります。濃い緑の葉っぱのに赤い小さな点々がついているのですが、遠くから見ると夜空に星が浮かんでいるようで、これもまた美しいのです。仏門の弟子達はこの光景を目にすると、あたかも西方浄土(=極楽)にあるという良い気に身をおいたような気持ちになることが、往々にしてあります。

このヤドリギが柏にまとわりついている木は、自然にこうなったのですが、それにしても誰がこの木を植えたのでしょうか?元々この木は600年前の元朝の天歴年間に、「邵元(しょうげん)」法師が植えたものです。「邵元(しょうげん)」法師は、前回お話しましたが、日本の山陽地方、但州の正法禅寺の管長でしたが、海を渡って少林寺に学びに来たのでした。「邵元(しょうげん)」法師は、当時の管長であった「菊庵照公和尚」を師として少林寺で21年間学びます。そして「菊庵照公和尚」のもとで、大乗禅法である曹洞の真理を1十五年間学び、また師について書道も学びました。「菊庵照公和尚」はさらに、「邵元(しょうげん)」法師を自分の書記僧(=秘書)」にし、方丈堂(=管長室)の東側にある東梅山房に住まわせました。

「邵元(しょうげん)」は書記僧になってから、兄弟子で首座僧をつとめていた「息庵和尚」との交流が多くなりました。あるとき、「息庵和尚」と「邵元(しょうげん)」は二人で洛陽にある白馬寺(注:中国最古の寺)行きました。「邵元(しょうげん)」が門の前で水を汲んで、天にもつく勢いの古くて幹の太い柏の木の下にはえていた、若く小さな苗木の状態のヤドリギに水をやっていました。

「息庵和尚」はこの様子を見て、笑いながら「弟弟子よ、ヤドリギは四季を問わず、いつも緑だから好きなのかい?それとも、雲のような、霧のような美しい花を咲かせるから好きなのかい?この木は柏の木の隣じゃないほうがいいと思うな。もし、傍にあったら、あまりよく成長できないだろうからね。」と言いました。

「邵元(しょうげん)」はそれを聞いて、「絶対だいじょうぶですよ。育ちますよ。この木がもし柏の木と一緒だったら、頼りにするでしょう。永遠に柏の木について伸びていくので、永遠に緑を保って長生きするでしょう。」と答えました。

「息庵和尚」はそれを聞いて、また笑いながら「君はそんなに長い先のことまで考えているんだな。」と言いました。