少林寺の白衣殿には、白いころもを身につけた観音さま、いわゆる「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」が蓮の花の台座に座っていらっしゃいます。道教では「観音老母」とも「慈航道人(じこうどうじん)」とも言われています。
観音さまは、元々インドから伝えられた様々なヒンズーの神様の一人ですが、その中でも中国の民衆との結びつきが一番深いと言われており、中国人なら誰でも知っている、様々なお話が残されています。
観音様は仏教のシンボルというだけではなく、中国の民間伝説において重要な役割を演じているのです。観音様に関する伝説は数多く残されており、寺ごとに異なった伝説が伝えられているのです。そして、先程も述べましたが、道教の中にも観音様に関するお話が伝えられています。ですから、このような状況に対する答えを探すには、こうした観音伝説の一つ一つを調べていく必要があると思います。
観音は「観世音菩薩」の略で、サンスクリット(梵語)の「アヴァローキーシュヴァラ」を意訳したものであり、他には「光世音」や「観自在」といった訳もあります。「妙法蓮華経第二十五品観世音菩薩普門品」、いわゆる「観音経」には観音様について、“大いなる慈悲の心を持って、苦しんだり悩んだりしている人々を助ける”と記述しています。苦しんだり、困難にある人が、ただ「観世音菩薩」と唱えさえすれば、観音様はただちにその声を耳にして助けにきてくださるので「観世音」と言われているのです。「悲華経」には、観音様がもともとインドの転輪王「無浄念」の長男「buxun?」であると書かれており、それゆえインドでは観音様は男性の姿をなさっています。
観音様は王子であった頃、自分の決心をお釈迦様に「お釈迦様、世の中の人々に降りかかる全ての苦難から助ける事が出来なければ、私は永遠に悟りの境地に至る事は出来ないでしょう。」と伝えました。当初この王子は、自分の父「転輪王」と弟と一緒に出家し、お釈迦様について仏教を学んでいましたが、最後に悟りの境地にいたり仏になりました。お釈迦様は、その父「転輪王」を西方浄土の「阿弥陀如来」としましたが、これは「無量寿」と「無量光仏」でもあります。そして長男の王子「buxun」は「観世音菩薩」とし、弟は「大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)」としました。この親子三人で「西方三聖」と称されており、観世音菩薩と大勢至菩薩は、阿弥陀如来の脇侍(わきじ=両脇に立っているもの)をつとめています。唐の時代になって、「観世音guan.shi.yin」という中国語の発音が、第二代皇帝の「李世民i.shi.min」という発音に似ていたため、それを避けるために「観音」という呼び方に変わりました。