協会を設立してはや16年が経ち、その前には研究で1989年1年ほどいました。ですから日本に滞在している期間は合計で17年、18年くらいになろうとしています。
この協会設立から16年間は振り返ってみるとこの期間は非常に充実していたのだなと感じます。ほぼ毎日、土日も関係なく朝から夜まで働いてきました。
その結果、協会として多くの少林寺の気功と武術に関してのプロレベルの指導員を育成してきました。そして協会は日本でも大きな組織になりました。
多くの人が少林寺気功や武術を教えて、またその人たちが少林寺を伝えるという事は非常に嬉しいことです。
私自身、普段はプライベートな生活の話をしませんし、時々拙著にほんと少し出てくる程度でした。実際、家族とは会っていませんし、ある意味、家族は存在していないといえます。
息子は私が来日する1年前に生まれました。私が日本語を勉強しているときに産まれて、90年から93年9月まで子育てをした記憶があります。確か2、3歳くらいだと思います。
0歳から3歳まで息子の体の調子があまりよくなく、よく世話をしたのを覚えています。
そんな息子も今はもう21歳となって、フィンランドの大学からパソコンソフト関係の研修で日本に訪れました。フィンランドでも上景気の影響を受けて就職が 難しい状況にあります。ですがフィンランドの法律で研修受けたら給料を払うということもあり、今日本で研修を受けています。私が日本に来てから初めての来 日です。 そろそろ1週間が経ち、その中で多くの発見がありました。まず当たり前かもしれませんが、息子は成長して大人になっていました。そして現代的な若者になっ ていました。
こんなに長い間一緒にいたのは本当に数えるほどしかなく、皆さんのように毎日会うことや、また毎月会うなどはありませんでした。
私にあるところは似ているところもありますし、似ていないところもあります。子どもは自然環境の中に成長しますが、人間は誰しもそうです。
私は指導者教育者の立場として、自分がそばにいて教えることが出来なかった事は、なんともいえない気持ちになります。
もちろんたまに中国に帰った際に様々なことを教えますが、毎回中国に帰国すると半分以上は少林寺のことで日程が潰れますし、他派との交流もあります。
実際の少林寺のお坊さんはもっと過酷な生活を起こっており、家庭を持つことすら禁止されています。
だから自分は少林寺の使命を帯びた立場でありながらも、少林寺の者としては恵まれており、息子が3ヶ月もの間、日本にいてもらえる事は幸せなことです。この間に少しでも息子のことを知ることが出来ればと思います。
世の中には必ずいいことがあれば悪いこともあります。
私は協会という組織を日本で育てたいと願っています。しかし自分の家庭も育てるという事、特に子どもに対しての教育ということは、他の家族のように出来るわけ無く、どちらか一つを選ばなければならないのです。
私自身がどうのこうのではなくて、世の中はそのようなものです。
なんでも欲するのが世の常ですが、はっきり言って無理なことだと思います。だからこそバランスが大事になってくるのではないでしょうか。それが自然だと思っています。
そして少林寺のものであっても、自分の健康のためでもあっても、一定の努力をしたうえで、それ以上頑張らないといい結果が出す事はできないと思います。
歴史の人物でも鑑真は7回も日本に来る努力をしました。努力の上に努力を重ねたのです。最後は眼も見えないような状態になって日本に来て仏教の文化を伝えました、その伝えられた文化は非常に役に立っています。
これは決して上思議なことじゃないです。一定の努力した上に犠牲心がないといけないということです。これは理解できないかもしれません。
ですがたとえば総理大臣や議員などが持つ権利を近親者や親族のためにつかっていたらどうでしょうか?逆に自分の周りには厳しくしてこそだと私は思います。
特にこの修行の世界ではそのようにいえるのではないでしょうか。