馬歩について
似て非なるもの。「しこ立ち」と『馬歩』。
踵と踵を結んだ線上に背骨がきて、床を噛んで、腰を入れ、背骨がしっかりとした柱になる「しこ立ち」を続けてきた私にとって、踵と踵を結んだ線上に背骨がこない『馬歩』は不安定そのものに感じていました。
空気椅子で、しっかり立っている感覚は掴めません。
今までの立ち方を修正するのではなく、新しいものとして取り入れようと、違和感を感じるまま続け、最近感覚に少し変化を感じてきましたので報告致します。
秦先生が、『はじめから深く落とさなくても良い、徐々に落としていく』の意味も自分なりに分かりました。
鍛錬の意味では、深く落とす事にも意味があります。徐々に、というのは、自分の馬歩の経験値が上がるとそれ相応に腰の低さも決まってくるのでしょう。
「バランスを取るのではなく、バランスが取れるところがあります。スッと『そこに入る』感覚です。」
カメラのピントと同じで、それ以上高くてもダメ、低くくてもダメなところがあります。
キツイか楽かには、焦点を合わせておりません。
秦先生には、「両手を腰に引くと良い」とご指導頂きましたが、まだ、レンガを持つように両手を真っ直ぐ伸ばした状態で行っているので、お尻の下に見えない柱のようなものは感じません。(そのようなものを感じるのかは不明ですが)
踵と仙骨のあたりの三点が支えになってバランスが取れている感じです。
壁に背中をつけて馬歩の形になった方が、寄りかかっている感じで楽なのか?と思いましたが、壁を使うとバランスが取れず、足の力だけでその位置を保とうとするので、はるかにキツイです。(キツイと言うより『これは違う』という感覚)
まだ、完全に「これ!」という感覚ではなく、まだ別の感覚になるのだろうと予想していますが、道は遠そうです。
拙い道半ばの報告にて失礼致しました。
※「似て非なるもの」は、まがい物の意味ではなく、違うものという意味で使っております。